はじめて推しが退団した-宝塚雪組『fff-フォルティッシッシモ-〜歓喜に歌え!〜』感想
物心つく前から母に宝塚に連れてかれていたわたしが、ようやく能動的に「沼落ち」したの、ちぎみゆだいもんの頃だったな
— きしま (@maximaximum) 2021年4月6日
第1回 早霧せいな(前篇) コンプレックスだらけ。でも、心は強くしていけるぜ!(私、元タカラジェンヌです。) https://t.co/Vs0jFBTDrJ #考える人 #早花まこ @KangaeruSから
雪組大千秋楽お疲れさまでした!
わたしははじめて「これが”ご贔屓”だ!」と自覚を持ったのが、だいもんのルキーニを見たときだったので、今日が人生初の「ご贔屓の退団」です。
初のご贔屓の退団公演に、『fff-フォルティッシッシモ-〜歓喜に歌え!〜』という、この時代に音楽で生きる全ての人を肯定する、望海風斗(と真彩希帆)にしか体現できない演目を見ることができて、寂しいけれど幸せだなと思います。
今回は宝塚大劇場で1回(わたしにとってはじめての「ムラ遠征」でした)、東京宝塚劇場で2回、ラストデイは配信で観劇しました。同じ公演を複数回見に行くのも宝塚では初めてでしたが、何回見ても嗚咽してしまい大変でした。ただ、これは単に「ご贔屓の退団』だけが理由ではありません。わたしは普段宝塚だけではなく2.5次元ミュージカルとか、ライブを生業とするアイドルやバンドとかのファンで、去年はちょっと苦しいことが多かったことも影響していると思います。
『fff-フォルティッシッシモ-〜歓喜に歌え!〜』、すごかった…。主人公のルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが、様々な不幸に見舞われながら、それでも最期に『歓喜の歌』を奏でるまでの話なのですが、トップ娘役きいちゃんの役名がまさかの「謎の女」。
ルートヴィヒの幼いころからその人生に寄り添い、時には家政婦としてコーヒーを淹れたり通訳をしたりもしていた「謎の女」は、なんとクライマックスで自らを「人類の不幸」だと明かします。
これ、すごくないですか。ただの不幸じゃなくて「”人類の”不幸」!このコロナ禍のご時世に!!!(ウエクミ先生も「この状況だからこの脚本にした」ってわけではないだろうけど…)
設定もすごいし、そんな大層なものを背負わされているのに説得力を失わない、きいちゃんもすごいです。特に『人類の不幸』(曲名)の歌い出しとか、か細い?弱々しい?(どの表現もあまりピンと来ない…)力んでいない感じの歌声なのに、スーッと耳に届いて心に響いてくるんですよね。歌が上手すぎる。
そしてすごいのはその後も!だいもん演じるルートヴィヒは、その「人類の不幸」を「運命」と呼んで、驚くべきことに『俺はこの運命を愛するよ』と抱きしめるんですよ!
このシーンで、これまでだいきほが演じてきた不幸なキャラクターたちが走馬灯のように思い起こされ、「もっとハッピーなラブコメもやって欲しかった…」という愚痴愚痴した感情が成仏しました…笑 し、そこからだいもんときいちゃんを中心にして、出演者全員で歓喜のシンフォニーを奏でていく怒涛の演出に、全ての歴史、全ての世界、全ての人類の全ての不幸を抱きしめて肯定していくような、ものすごいパワーを感じました!
去年、払い戻しのため公演中止になったのにチケットを発券する羽目になった時も、不幸は真彩希帆のかたちをして傍にいたのかもしれないな…と考えると、あの虚無体験も報われるような気がします。
去年、星野源の「うちで踊ろう」をフルで聞いた時、結局人類は独りで自らを救わなければならないのだな~と、諦観を強く感じました。
だから最近、特に「自己肯定」とか「自己救済」の物語が好きなのですが、『fff-フォルティッシッシモ-〜歓喜に歌え!〜』にもそのニュアンスを感じました。
ルートヴィヒの人生に寄り添う「謎の女」も、失意の底にいるルートヴィヒを鼓舞するナポレオンも、ルートヴィヒの空想上の存在です。
このようにイマジナリーフレンド的な存在が、人生を支えてくれるようなストーリーは、わたしも自分の力を信じて頑張ろう、って気持ちになれます。贔屓の退団公演で見られて良かったです。
だいもん、雪組のみなさん、お疲れさまでした!ありがとうございました!